VIVA! 昭和
戸外の洗濯機
 この連載もすでに一年を越えておりますけれど、予定では年内をもって終了させていただくこととなっております。光陰矢の如しなどと申しますが、思い起こせばあっという間の出来事でございました。
 先日、担当の方と都内でお会いした際には「残り数回ですから頑張ってください!」などといった感じでお酒と共に燃料を注入していただき、残りの回数を指折り数え、ちょっと回数が足りないけれど、なにせ「じゃあ年内で終わりましょう」と言い出したのが僕自身なものですから、まあ、原稿用紙やらパソコンの画面に向かってみて書きたくなったものについて書けばそれでよいだろうと、自分なりに気持ちを盛り上げて終点を迎えるつもりでした。
 で、前回は連載を始めてから初めての休載だったわけです。気分だけ盛り上げたところで、風邪には勝てません。日に日に寒さの増してゆく晩秋、皆様も風邪にはご注意ください。

 さて、風邪を引きますと発熱による消耗で体も頭もいつも通りには動きません。家事全般においても色々と滞るわけですけれど、僕の場合ですと特に困るのが洗濯だったりします。体力の衰えているときには風呂に入るのも億劫ですし、うっかり湯冷めなどいたしますと風邪を悪化させかねませんから、風邪の際には入浴を控えるわけでして、そうしますと、風呂場で入浴と洗濯を同時に済ませている都合上、洗濯物が貯まってしまうのです。
 人によっては、別に風呂に入らなくても洗濯はできるでしょうと思われるかもしれません。風呂場に行って洗濯機のボタンを押せば済む話なのだからと言われてしまうのかもしれませんけれど、残念ながら風呂場には洗濯機を置くスペースはありません。置いてあるのはステンレス製のバケツだけで、要は手洗いで済ませております。
 本当は盥と洗濯板があればなんとなく風情があってよいのですが、盥は高いし洗濯板も売られていたのはプラスチック製品だしで、既に持っていたバケツに落ち着いた次第です。バケツに洗濯物をどさっと入れ、風呂のお湯をじゃばっと掛けて足踏みすれば、一日着ただけの埃と汗は洗えてしまいます。洗濯機も持っておりますけれど、どうしたって手で洗った方が入浴のついでにできるし時間も早いので、稼働させるのは月に二回か三回ほどです。使用頻度の低さが原因なのでしょうけれど、僕の洗濯機には雨蛙が住み着いているので、使う前にはあちこち確認してからでないと知らぬうちに無駄な殺生をしていたりもします。実際、初代の雨蛙は洗剤の毒沼となった洗濯槽で最期を遂げております。洗剤まみれの雨蛙では喰うわけにもいきませんから、まったくの無駄死にをさせてしまいました。
 まあそんなわけで雨蛙の住処になるくらいですから、もちろん置き場所は戸外。戦後の昭和を見つめてきたであろうこの家は、屋内に洗濯機を置くなんてことを意識した造りをしておりません。玄関先にぽつんと、水道の蛇口が地面から生えるように設置されているだけです。

 ここで洗濯機の歴史などひもといてみますと、国産第一号の電気洗濯機が登場したのは昭和五年だそうです。ちなみに、洗濯機と共に語られる三種の神器である冷蔵庫も、国産第一号の完成が昭和五年。販売が始まったのはその三年後でして、さらにテレビ受像器はとなると、製品・サービスのそれとしては戦後の物語ではありますけれど、日本で最初のテレビ実験が成功したのは大正天皇崩御の日、つまり昭和元年です。三種の神器といわれた物たちの日本における歴史は、昭和と共に始まったのですね。
 これらが普及するのはご存じの通り高度経済成長期となるわけですから、僕の住んでいる貸家に洗濯機を置く余地がなく、玄関先に水道が設けられているというのも頷ける話です。洗濯機が広まるまでは野外にて盥と洗濯板を用いるのが当たり前だったわけですし、それだって自分の家の水道を用いるなんてのは恵まれていたかもしれません。地方に行けば、水は共用の井戸を用いるなんて暮らしも残っていたわけです。逆に言えば、玄関先に水道があるなんていうのは一軒家の象徴みたいな、憧れた豊かな暮らしを具現化したものだったかもしれません。

 ついでに調べてみますと、日本における水道の歴史というのは大変に古いものでして、まあ、どこの国でも民族でも、水場への往復という煩わしさを解消すべくあれこれ努力した記録は文明の発祥と共にあるわけですけれど、江戸の水道というのは当時の大都市の中でも有数のシステムだったということで、明治期に近代水道への移行を始められたのもきっとそのおかげでしょう。他の国では、上水も下水も同じ川を使うというシステムのおかげで伝染病に悩まされたりしていましたけれど、日本は厠が汲み取り式だったという点も、水や畑にとって良い結果をもたらしてくれました。そもそも、江戸は水に苦労する場所だったからこそ水道が必要だっただけの話で、そのほか多くの場所では川は多いし用水を引く技術もあったし井戸を掘れば水が出るしで、洗濯物とか体をこまめに洗う風習は水資源の豊富な国土が培ってきたとも言えます。
 井戸端やら戸外の水道やらで洗濯に精を出すのは留守を預かる女性の役目、というのも風習のひとつではありますが、『昭和の暮らし博物館』(小泉和子著・河出書房新社)によりますと、戦後、電気洗濯機が本格的に生産されるようになった頃には「『洗濯を機会にさせるなんてだらしがない』といった『婦徳』も生きていた」そうです。同書には、大正時代に発売された『真空洗濯機』なるものの新聞広告も載っていて、これは洗濯機といっても盥にレバーがついていて冬の凍えるような水に手を入れなくても洗濯物を押し洗いできるというだけの代物ですが、洗濯ひとつとっても大変な労働であったことはこういう“発明”からも窺い知ることができます。明治維新やら太平洋戦争を駆け抜ける間に様々な価値観が流入することで生活の在り方も変わっていったことが、「真空洗濯機」「婦徳」「三種の神器」などというキーワードの流れから、なんとなく線として見えてくるように感じます。

 月に数回、晴れた日に屋外の洗濯機を回していると、少しずつ季節が移ろっていくのを感じられます。冬になると、ああ、昔の人は、歴史からすれば一寸前の人々は、この冷たい水に手を入れて洗濯をしていたんだなあ、なんて考えが頭に浮かび、風呂と洗濯機のある暮らしの贅沢を味わっていることを実感できます。
 使っている洗濯機は古い二層式を譲り受けたもので、機種名は『愛妻号』というらしいです。これってやっぱり、昭和の男たちが愛する妻を家事から解放してやりたいと思う気持ちが婦徳を打ち破ったっていう象徴になるのでしょうか。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。