VIVA! 昭和
台所
 貧乏をしておりますと、食の大切さは身にしみてまいります。動物として欠かすことのできない要素であると共に、人間として、生きる活力にもなってくれるのが食です。土鍋で炊いた米に鰹節と醤油なんていう、いわゆる猫まんまで済ませることも少なくない僕ですけれど、そこに、煎り胡麻の一振りだとか、刻んだ葱なんかが加わりますと、それだけで、いつもより幸せな気持ちになれるのです。寒さに震える夜、火鉢を抱きながら啜る屑野菜の雑炊に、柚子の皮一片、それに七味なんかがありますと、体の中に再び火が灯るのを実感することもできます。夏の暑い日には塩辛さを、冬の寒い日には砂糖の甘みと料理の熱を、体は自然に求めます。その求めをうまいこと聞き取り、頭の中の料理レシピと財布に相談し、体が突きつけてくる要求に応じられるだけのものを口にできたときの幸せというのは、生の享受と言っても過言ではないと考えております。

 日本における食の歴史、食文化の発展は、世界的に見ても恵まれています。狭い島国でありながらも縦に長いため全国で気候に違いがありますから、農作物に各地の特色を見ることができます。米の違い、水の違いは酒の違いへと結びつきます。水産資源豊富な海に面しているうえに、その海がまた、太平洋、日本海、瀬戸内海などなど各種取りそろえ的な違いを持っています。江戸幕府のもたらした長い平和は商人を裕福にさせ、武士よりも旨い物が喰えたりもしたほどです。明治維新とともに諸外国の文化が流入し、大正、昭和初期と、食の幅はぐんぐん広がっていきました。まあ、それでも貧しい人々は粗末なものを口にしていたことになりますけれど、上の方で食文化が熟成していき、それを享受できる人数が増えていったことが、平成の今日にも食文化の完全崩壊を防ぐ力になっているのです。
 同じ島国であるイギリスと比べれば、少なくとも食に関しては日本に生まれてよかったなあと、僕などは考えずにいられません。イギリスは日本に比べますと食材に恵まれていないようですけれど、それでも、陽の沈まぬ国と呼ばれるほどに植民地を持っていましたから、各国の文化を取り入れ、食文化を熟成させることは可能だったはずなのです。けれど、それを享受していた貴族文化が、庶民に浸透するきっかけがなかった。それが不幸の大本なのでしょう。イギリスで革命といえば産業革命。資本家がお金を得るようになった頃には、現在の経済社会のそれと同様なことが繰り広げられていて、文化どころの話ではなかったのでしょうね。

 鍋と釜だけでも柔軟に対応することができ、少なくとも苦痛を感じることなく、ちょっとした貰い物で幸せを感じられる。日本に暮らす庶民が残してくれた食の文化には、僕も色々と助けられています。そして、そんな僕の貧乏を支えてくれる台所というのは、江戸の長屋から続く昭和の延長上にあると考えております。
 近代的な台所を見ますと、収納の多さに驚かされます。あっちがぱったん、こっちもぱったんとやけに扉やら引き出しが多く備わっていますから、様々な道具を見えないようにしまい込むことができます。でも、システムキッチンのある家に住まわれている方は是非とも考えてみて欲しいのです。しまってある道具の稼働率は、いかほどのものでしょうか。もう何年も使っていないフードプロセッサーとかハンドミキサーとか刃物セットとか圧力鍋とか土鍋とかガスコンロとかパン焼き器とかなにかに使えそうだからとっておいた空き瓶とか付属の固形燃料だけ使って二度と使ってない卓上用の鉄鍋とかがしまってあったりはしないでしょうか。で、毎日使うのは取っ手のゆるんだホーロー鍋やテフロン加工の剥げかけたフライパンとかではないでしょうか。実は、家でやる料理に必要な最低限なんていうのは、壁に紐を渡してぶら下げておける程度の品数しかないのです。それは、江戸も昭和も平成も、たいした違いはありません。

 かく言う僕の台所には、壁に金具を打ち付けたところへ紐を渡しまして、鍋、蓋、おろし金、北京鍋、計量スプーンにカップ、笊がぶら下がっているのと、竹筒に切り込みを入れたものに歯ブラシ、しゃもじ、お玉、泡立て器、菜箸が刺さっているのが主要な道具で、あとは立て掛けたまな板と包丁、棚には土鍋とステンレスボール、麺棒などが置いてあるくらいです。全部、見えるところに置いてあり、戸を開けるような煩わしい手順を踏まずに手に取れるようになっていますから、ちょっとしたときに気軽に使えます。こうすることで使わない道具は次々に邪魔になり、脱落していきますから、スペースには困らなくなりました。それでも、和洋中の簡単なメニューは作れるだけの設備として機能しますから、あとは財布が許すかどうかの問題となります。
 台所をこういう風にしようと考えたのは、江戸時代の長屋と同じ感覚で使えるように工夫した結果です。東京にある『深川江戸資料館』で長屋の原寸大展示物の台所を見て、ああ、これでも暮らせるなあと感じたことがきっかけでした。入り口の脇に竈があって、その奥に打ち付けられた棚と、竹細工の道具挿し。毎日の煮炊きならばこれで十分だなと、そこでの暮らしが頭の中に浮かんだのです。写真の竹筒は、そこで見た物を再現して、台所のシンボルとして愛用しています。
 もちろん、現代の家屋に住んでいるわけですから水も出るしガスも使えます。そういう昭和に整った部分というのは、とても便利な暮らしを実現させてくれました。だから、僕にはそこまでで十分だと思えます。僕の台所に平成が来ることは、もう、ないのかもしれません。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。