VIVA! 昭和
包丁
 台所というのは、案外、少ない道具でも立派に機能してくれます。前回は、ぶら下げておける道具だけでなんとかなるなんてお話をさせていただきましたが、そんな僕も、包丁だけは四本も持っていたりします。そのうち三本は、貧乏生活をしながらこつこつと買い揃えたものですから、気づいたらそれだけあったという偶発ではなく、必然なのです。

 最初に買った包丁は、ステンレス製の文化包丁でした。買い求めたのが会社員の頃でしたから、なにも考えずに近所のスーパーで売られていた九八〇円くらいのものを手にしたのです。貧乏に降りてからもこの文化包丁で過ごしてきましたけれど、次第に、どうも、なにかが違うと感じるようになってしまいました。
 実感したのは刺身です。貧乏人でも、安売りの秋刀魚や鰺ならば一尾まるごとを買い求めてお造りにすることくらいは財布も許してくれます。たまの贅沢にと嬉々として買い求め、前述の文化包丁で三枚におろしてから刺身にしておりましたが、これが、どうもいまいちなのです。まあ、鮮度とか、技術とか、そういうところで隔たりも生じるのだろうと思っていたのですが、幸運にも、包丁の切れ味は鰺に現れるというのを実感できる機会がありまして、主犯が僕の技量不足ならば、共犯は文化包丁なのだということに気がつくことになりました。

 “切れ味”に目覚めたきっかけは、釣り好きの知人が開いた刺身パーティーです。彼が釣りに出かけたところで、僕が魚を味わえる機会はほとんどないのですけれど、ごく希に、幸運の女神が大漁をプレゼントしてくれることもあるようでして、過去に二度ほど、刺身パーティーが催されました。二回とも、板前にお造りを教わったことがあるという別の知り合いが魚を捌いたのですが、一度目はその場にあった包丁で、二度目は刺身包丁で、という違いがあったのです。季節も違うし魚にだって個体差はあるし、果たしてできあがった刺身の違いが包丁による物だけなのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、一切れ口にしただけでも歴然な違いを感じました。刺身用の包丁によって切られた鰺のほうが、明らかに食感も舌触りも良好なのです。
 こうなりますと、自分で旨い刺身を食えるようになるためならば柳刃包丁の一本くらい買っても惜しくはないなあと、ほどなくして、僕の台所には柳刃包丁が加わった次第です。

 いくら道具があっても、技術が伴いませんと物事はうまくはいきません。けれど、刺身包丁を導入して以来は刺身の質も一変しました。なければなにも始められない、そういう道具もあるのです。長さを活かしてのそぎ切りなんかは、文化包丁では真似のできない芸当でしょう。弘法筆を択ばずなんて言葉がありますから、プロならば文化包丁でもやってのけるかもしれませんが、柳刃包丁を自在に操るだけの技術がなければ、どんな包丁でも刺身にしてしまうなんていう域にはたどり着かないと思います。筆を選ばないのは、三筆の一人、空海なのです。
 こうして、料理における包丁の重要さに気づいた僕の手元には、魚を三枚におろすのに便利な小出刃、野菜用の菜切包丁が加わっていきました。揃えるのに一年ほどかかったでしょうか。一本二千円程度ですから決して高級な包丁ではありませんけれど、こつこつと包丁代を捻出するのにはそれだけの時間が必要でした。
 結果からしますと、これらの包丁は時間分、値段分の働きを十分に果たしてくれました。もともと手先は不器用ですので、大根の桂剥きなどはいくらやっても無惨な結果に終わっておりましたけれど、菜切包丁を手に入れましたらいままでの苦労は徒労だったと思うほど簡単にできてしまったのです。それでも、厚さが不均一だったり途中で切れてしまったりはしますが、まったくできないとそれなりにできるでは、前を向く力も変わってきます。これはもしやと挑戦した林檎の皮むきを、一度も途切れずに終えたときには声が出ました。もし、刺身包丁による鰺に出会わずに文化包丁だけで過ごしていたならば、桂剥きも林檎の皮むきも一切を諦めていたかもしれません。道具の凄さと恐ろしさを知ることができた、それだけでも、包丁三本で五千円弱を捻出しただけの価値は手に入れたと感じられます。

 これら三本の包丁は鉄ですから、使ったらすぐに拭かないと錆びてしまいますし、無精をしているとすぐに切れ味が悪くなってしまいます。定期的に砥石を使って研ぐことになりますが、ここでも、ステンレスの包丁との違いが見えてしまいます。
 買いそろえた鉄の包丁たちは、研いであげると刃先に触れただけで皮膚が緊張します。指先が、少しでも動かせば切れるという感覚を捉えることができるのです。一方、安物のステンレス包丁は、いくら研いでも刃が出ません。指先にあてても危機感は希薄だし、ちょっと強く握っても、掌は無事です。さすがに握ったまま引けば怪我をしてしまいますが、これだけで、力で切らなければならない包丁であることがわかってしまいます。実際、鉄の包丁を使い始めた頃は、つい、それまでの調子で力を込めてしまって指先を切ったこともありました。包丁は力加減なんてことも耳にしますけれど、よく切れる刃物でなければ、実感は得られないということも学べた気がします。

 用途に合わせた包丁を使い、形状を理解して研ぐというのは、台所でできる小さな楽しみです。これを知ってしまいますと、セラミックの万能包丁なんていうものは、多くの楽しみを奪うだけに見えてしまいます。自分でメンテナンスできない道具に対しては、ちょっと、気心を許せないというような感じでしょうか。
 いつの時代であっても、台所から聞こえてくる包丁の音は楽しくあって欲しいと願っております。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。