わたしには、『親不知』がないらしい。
 それを知ったのは、ほんの数か月前だった。
 久し振りに歯医者に行って、久し振りだから、と口の中のレントゲン写真を撮って貰ったときのことだ。
 虫歯はないみたいですね、なんてマスクでほぼ顔の見えない医師からレントゲンの説明を受けながら、わたしは、自分の頭蓋骨の写真に違和感を覚えていた。
 何か質問はありますか? と顔は見えないけれど穏やかな声の医師に尋ねられたわたしは、
「すみません、治療とはまったく関係ないのですが」
 と前置きをして、尋ねた。
「この写真を見る限り、どうも親不知が見あたらないのですけれど」
 わたしの口内レントゲンは、右も左も、上も下も、びっしりと永久歯のみで埋められていた。
 穏やかな声の医師は穏やかな声のまま、
「そうですね、ないですね」
 と、答えた。
「ない? そんなことってありえるのですか?」
 ご存じの通り、『親不知』とは一番奥の歯の、そのまた奥に生える歯のことである。たいていの人は十代後半から二十歳くらいに生えるため、すでに親元を離れている人も多く、親さえ知ることのない歯、というのが名前の由来の一説だ。
 わたしの父に親不知が生えたのは、わたしが中学生のときだった。四十代の前半だった。
 父の両親はその頃にはすでに他界していたので、父の親不知は、本当に親に知られぬままに生えて抜かれたんだね、なんて話をしたのを覚えている。
 だからいつかはわたしにも生えるのだと思っていた。なかなか生えてこないのは、家系的に親不知が遅い(そんな遺伝があるのかどうか知らないけれど)だけなのだと、そう信じていた。声変わりや生理が遅い子がいるみたいに、親不知が遅いだけ。
 生えない可能性なんて、ほんの少しも考えなかった。
「別に全員が生えるって訳じゃないんですよ、親不知」
 穏やかな声の医師は、穏やかにそう言った。
 そうなんだ、とわたしは静かに自分のレントゲン写真を眺めた。
 親不知が生える日は、わたしには来ない。
 親不知を抜く日も、わたしには来ない。
 抜くのすっごく痛いんだよ、とまだ親不知の生えていない人に自慢みたいに告げる日も、わたしには一生来ない。
 親だけでなく、わたしも、わたしの親不知を知る日は来ないのだ。
 知りたかったな。
 わたしの親不知。幻の親不知。



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