|
本書は、幼児虐待によって多重人格者となった少女の\癒しのプロセスを描いた『マリカの永い夜/バリ夢日記』(94年)、エイズに感染した友人とのエジプト巡礼の旅を書き綴った『SLY』(96年)に続く「世界の旅」シリーズ第三弾である。バリ島、エジプトと世界遍歴の旅は続き、吉本ばななによって次に選択される国はどこだろうという期待とともに、三作目の登場を心待ちにした読者も多かったことだろう。今回作者によってキャッチ・アップされたのは、アルゼンチンを中心とする南米の国々である。
「世界の旅」シリーズの妙味は、作者によって設定された「テーマ」と選択された「国」が相乗効果的に作用し、絶妙な文学空間が提出される点に尽きる。本シリーズで吉本は、社会的なテーマ群に敏感に反応し、生と死を循環的にとらえる視点から、トポロジカルな癒しの風景を提出してきた。今回のテーマは恋と不倫。情熱的な都市、ブエノスアイレスを中心に、男女の様々な恋の風景が七つの短編によって描かれていく。
たとえば、巻頭を飾る「電話」。仕事のためにブエノスアイレスを訪れた「私」の元に、不倫相手の彼の妻から夫の死を伝える電話が届く。二人の恋の思い出を回想しながら、異国の教会で彼の冥福をひたむきに祈る「私」。しかし次の日、彼から連絡があり、妻の電話は「私」への悪意に満ちた嫌がらせであったことが判明する。
あるいは、「最後の日」と題された作品。祖母によって死ぬと予言された日に、「私」はアルゼンチンの地でタンゴ愛好者の夫と旅をしている。夫の仕事の関係で一人ホテルの部屋で予告された時刻まで静かに時を過ごす「私」は、自分の死後の夫の一人暮らしの光景に思いを馳せ、胸をしめつけられる体験をする。
静かで穏やかな短編群には、人生の陰影と深い情念が刻印されている。アルゼンチン・タンゴ、ワインのある風景、街の喧騒、広大な自然、そして遺跡。原初的で強烈な自然とヨーロッパ的な文化が混在するアルゼンチンという場所を、恋情の機微が発動する空間(トポス)と読み替えることで、作者はアコースティックな文学空間を創りあげることに成功している。
私は常々、「アイテム」「シチュエーション」「ロケーション」の三つの要素が、吉本文学を読み解く鍵だと思っているが、本作もそれらが有効に機能した構成になっている。穏やかな日本の午後、ボーイフレンドと「山盛りのサンドイッチ」を食べながら、ブラジルの地に住む友人からの流産の知らせを電話で受け、彼女と旅したミッションの遺跡への思いを誘われる「私」の心情を綴った「日時計」は、その白眉ともいえる作品である。
「世界の旅」シリーズは、後半部分に併録された紀行文と合わせて、異国情緒を満喫できる「観光文学」として楽しめる作品として読まれてきたが、『不倫と南米』では紀行文は最低限に抑えられ、そのぶんフィクションの比重がおもくなっている。短編連作という形も、作者にとって新しい地平を切り開く試みだろう。
巨視的にみると、吉本はこれまで個人とその奥深くに潜在する神秘世界を対比的にとらえることを文学的方法の中心に据えてきたように思う。本作では、そこから一歩踏みこんで、個人の背景に存在する物語、あるいは政治性、歴史性といった要素への配慮が感じとれる。
「ハチハニー」はその極致ともいえる作品である。夫の不倫を知り、別れを決意してブエノスアイレスにやって来た「私」は、軍事政権時に子供を殺された母親たちが白いスカーフを付けて行進をする大統領府前の五月広場に足を運ぶ。そこで見た、おばさんの一人に母親の面影を認め、風邪をひくと必ず作ってくれた飲み物に思いをめぐらす。五月広場の体験を通して主人公は「なにか小さく私を変える核」の存在を実感する。ここで行われているのは、個人史(あるいは個人の記憶や物語)を政治や歴史へとつなげていこうとする強い意志である。そう、恋愛もまた、イデオロギー的言説と力学的な関係が交錯する、一つの政治的な装置ではなかったか。そういう意味からも、『不倫と南米』は吉本の成熟が深く刻み込まれた思弁的作品集といえる。
写真の山口昌弘、装画の原マスミなど、このシリーズ不可欠となったクリエイターたちとの共同創作(コラボレーション)もさらに磨きがかかり、様式化した美学を提示するに到っている。
人生の陰影と深い情念を刻印した短編群 書評家 榎本正樹
|