茹でケバブ? 茹でて焼くってことなのか?

 アメリカと国交がない国。北朝鮮とキューバ、そしてイランが思い浮かぶ。国交がないということは、わかりやすく言えば仲が悪い国ということだ。親米国の日本では、アメリカ側から見た情報が目に留まりやすいせいか、これらの国にはどこか不気味なイメージを持ってしまう。
 逆にイランで生まれ育っていたら、アメリカに対する感情はどうなっていたのだろう。アメリカとイランが国交を断絶したのは1980年。30代前半までの若いイラン人は生まれた時から「アメリカは敵対国」と教わってきただろう。イランで育った自分を想像しながら、ガラス扉を開けた。歩道側のガラス張りの壁には日本語と英語、そして、アラビア語で、イラン料理、家庭料理、Home Made Food、Halalなどと書かれている。Halalとはイスラム法上で食べることのできる食事を指す。
 入口に近い4名がけのテーブルに座っていた20代の黒髪のイラン人女性が立ち上がり、笑顔で迎え入れてくれる。
「イラッシャイマセ」
 黒いタートルのセーターにジーンズ姿という普段着なのに見とれてしまう。きれいな人だねぇ……男友達と一緒に来ていたら、顔を見合わせて言っていたに違いない。しかし、ひとりメシ。にやけ顔を作り笑顔に変え、軽く会釈をして店内を見渡す。
 決して広くはない店内に、6名がけと7名がけの大きなテーブルがど〜んと2つ陣取り、店の奥には、こじんまりとしたこあがりの4名席がある。数字だけで考えると4名席を選ぶのが妥当だが、ひとりメシで一つしかないこあがりを選ぶことには抵抗がある。本当は彼女が座っていた4名がけのテーブルが、ひとりメシには適しているが、その上にはノートパソコンが置かれ、彼女の作業場と化している雰囲気がある。まさか、それを片づけてくれとも言えない。さて、どうするか。
 店全体を見渡せる席がいい。窓際に置かれた6名がけのテーブルで店内に向かって座れば、キッチンの様子も店内の様子も見ることができる。ただ、同じ窓際の天井からつり下がったテレビは見られなくなる。手持無沙汰ならぬ目持無沙汰の時にはテレビがあった方がいい。画面には中近東系の男性歌手が歌っている。おそらく中近東のミュージックビデオ。なおさら見てみたい。6名がけテーブルの壁際に一つ椅子席がある。誕生日席のような場所だが、右にテレビ、左にキッチンを眺めることができる。消去法でその席に決めた。
 キッチンから白いシャツとジーンズ姿というこれまた普段着の若いイラン人女性が、メニューを持って現れる。これたまた美しい。イランの女性ってこんなに美しいのか。そういえば昨年のミスユニバースはイラン人だったという記事をインターネットで読んだ気もする。あれ? 彼女たちはイスラム教徒ではないのだろうか。確かイランの国教はイスラム教だったはず。曖昧な記憶の中から人生の中で観たイランの映像を走馬灯のように思い出す。女性はスカーフのようなルーサリを頭に被っていた。そのスタイルばかりが目について顔に意識がいっていなかった。たとえ意識がいったとしても、顔だけが出ている姿は、総タイツの顔出し、もしくはほっかむりのイメージで、印象が全く違う。実はイランはものすごく美人が多い国なのではないだろうかと妄想は膨らむ。
 「イランリョウリハ ハジメテデスカ?」
 妖艶を漂わせる笑顔に顔が緩む。
「は、はい」
 よだれを垂らして寝ていたところを見られたような気まずさ。慌てふためき、置かれたメニューに目をやり、ビールの文字を探す。アサヒ、コロナ、ハイネケン、バドワイザー……見慣れたビールの名前から咄嗟にメキシコのビール「コロナ」を先に注文する。
 彼女がビールを取りに行っている間に改めてメニューを眺める。ほとんどがケバブ料理。肉を焼くという意味のケバブは、串で刺したシシケバブや大きな塊を回転させて焼きながら、肉を削ぎ落とすドネルケバブがよく知られている。茹でケバブの文字が目に留まる。「茹で」ということは焼いていないということになるのだろうか。コロナビールがテーブルに置かれた際、注文してみる。
 料理には白米もつく。かなり量はあるが、彼女曰く「軽い米」なので、日本のご飯程、お腹がいっぱいにならない。だったらもう一品頼んでみたい。チヂミのようなカットレットと書かれた料理が目に留まる。その写真を指しながら見上げると彼女の目が輝いた。
「オコノミヤキ ニ チカイデス。ワタシ ガ イチバンスキナリョウリ」
 咄嗟に「じゃ、これもお願いします」と頼んでいた。彼女が好きな料理だと言ったら、どんなゲテモノでも頼んでいただろう。いやだ。いやだ。きっと僕の鼻の下は伸びているのだろう。

日本からイラン人が激減した理由

 キッチンではルーサリを被った小柄な初老のイラン人女性が料理の準備を始めていた。キッチンと客席をつなぐカウンターにはイスラム圏でよく見かける水煙草が2つ置かれ、力自慢のイランの男達が振り回す棍棒「ズール・ハーネ」のレプリカも置かれている。
 店内全体が見渡せるいい席だが、一つだけ問題があった。最初に迎えてくれた黒いタートルのイラン人女性と対面して座るような形になってしまったのだ。テーブルとテーブルの間も広く、彼女はパソコンに向かって作業しているので、顔を上げなければ目が合うことはない。しかし、僕が店内を漠然と眺めているだけでも、彼女からすると視線らしきものを感じるのだろう。僕に呼ばれているのかもしれないと時折、顔を上げてこちらを見る。吸い込まれるように視線が合ってしまい、一瞬、気まずい空気が流れる。その空気をまぎらわすようにコロナビールの瓶に口をつけ、店内のテレビに目を移す。こんなことに気を使うくらいなら違う席の方がよかった。だからと言って今さら動くのも変だ。彼女と視線が合うことを避けるために席を移動したと思われるのも嫌である。
 テレビには中東系の美しい女性が砂漠のような場所で歌う姿が映し出されていた。ポップスというよりはソウルに近い。彼女もルーサリを被っていなかった。スマートフォンで改めてイランの位置と宗教地図を確認する。イランはもちろんのこと中近東はユダヤ教のイスラエル以外、全てイスラム教の国である。となると彼女がイスラエル人でない限り、中近東のどこの国だろうがルーサリは必須アイテム……のはず。まぁ、これだけイスラム国家で次々と革命が起きているのだから、イスラエル教徒の女性の間で変化が起きていても何ら不思議はないんだけど。
 変化といえば、この十年で日本からイラン人が急激に減った。日本とイランは70年代半ば、観光協定を結んだため、互いの行き来にビザなしで入国することができた。しかし、その影響で不法滞在の在日イラン人が増え、日本で怪しい商売をする人も増えてしまった。80年代から90年代にかけ、偽造テレホンカードといえばイラン人を思い浮かべた時期もある。もちろん真面目に働くイラン人もいたはずだが、結局、90年代になって観光協定は終焉し、それと供にビザが必要になり、不法滞在の取り締まりも厳しくなった。観光協定が終結した当時、在日イラン人は4万人を超えていたが、現在、4000人程度とピーク時の10分の1。公衆電話が激減していくようにイラン人も激減していったのである。
「チカク ニ スンデイマスカ?」
 茹でケバブの皿を置く際、白シャツの女性から聞かれた。現在、岐阜に住んでいて、名古屋まで在来線を使っても1時間程度で来ることができるので近いと言えば近い。名古屋在住の友人とのメールのやり取りの中でこの店の存在を知った。僕の周囲にはイラン人の知人はおらず、中近東に行った経験もない。未知の世界の「イラン料理」に興味を持ち、足を運んでみたのである。それにしても、どうして東京や大阪ではなく名古屋に出店したのだろう。
「オトウサンガ ナゴヤデ シゴトシテイマシタ。ソレニ トウキョウモ オオサカ モ ウルサイカラ」
 彼女が住んでいたイランの首都テヘランも東京と大阪と変わらないくらいうるさい街らしい。その点、名古屋は静かで気に入り、既にこの店を開いて12年になると言う。それは、きっと、この店のある場所が徳川園の近くだからということもあると思う。尾張藩の藩主の別邸だった場所は現在、日本庭園と美術館が併設された大人の観光スポットで、その周囲は市内有数の高級住宅街なのである。
 ラム肉の茹でケバブはやはり焼かれていなかった。じゃ、ケバブじゃないじゃん……などと細かく追及するつもりはさらさらない。さっぱりしていて美味しいのだからそれでいい。茹でケバブの上には、ターメリックの効いたトマトベースのソースがかかり、これがまたビールに合う。
「オイシイデスカ?」
 客は僕一人だけなので、彼女たちは時折、声をかけてくれる。イラン料理はもう少し辛い料理だと思っていた。イランの南部に行くと多少、辛い料理はあるが一般的なイラン料理は辛くないのだそうだ。
 料理はナイフとフォークではなく、スプーンとフォークでいただく。スプーンでご飯をすくって食べ、スプーンをナイフがわりにして肉を切り、フォークで刺して口に運ぶ。これがイラン式食べ方。イラン式といえば、ドキュメンタリー映画に「イラン式料理本」という作品がある。様々なイランの世代の人たちの家庭料理事情を描いた映画で、ひよこ豆のピラフやイラン風肉団子などが登場し、イランの食文化の今昔を知ることができる。伝統的なイラン料理を6時間かけて作る奥様に対し、レトルトと缶詰で済ませる若い奥様も存在していることに驚いた。しかし、よく考えてみれば、日本だって、伝統的な日本料理を作る女性もいれば、コンビニの総菜で済ませる女性もいるのと同じ。どこの国でも変化しているのだ。ちなみに映画の中ではイラン人の女性は全てルーサリを被っていたと思う。レトルトと缶詰で済ませる女性でさえも。あっ、映画の中では、たいてい大人数の家族が集まって食べていた。そういった食文化があるからこそ、この狭い店内に6人掛けの大きなテーブルが中心に置かれているのかもしれない。

えっ? イラン産のビールはない

 カットレットが運ばれてくる。小麦粉入りの卵焼きにネギが入っている感じだ。チヂミはタレをつけて食べるがカットレットはそのまま。少し物足りない気もするが、彼女が好きな料理なのだと思えば、味が沁み込んだチヂミと僕は表現する。
 追加でビールを注文する際、イランのビールがないか聞いてみた。
 「イランハ イスラムダカラ オサケ ハ アリマセン。ノムヒトモ オオイデスケドネ」
 白シャツのイラン人女性が笑いながら答え、それを聞いていた黒いタートルの女性もパソコンから顔をあげて笑った。
 改めてメニューをもらうのも面倒なので、入口近くに置かれたガラス戸の冷蔵庫の中に目を向ける。ハイネケンとバドワイザーが目についた。この2つが並んでいたら普段なら間違いなくハイネケンを選ぶが、本日はバドワイザー。アメリカのビールである。現在も国交断絶が続く2つの国。せめて僕の食事の前では仲良くしてもらいたいというささやかな願いを込めた選択である。ひとりメシ外交とでも言おうか。
 入店してから30分近く経つが、牛乳の配達人が来たくらいで誰も入ってこない。まだ夕食の時間には早いこともある。僕もそれを狙ってきた。空いている時間帯であれば多少は店の人とも会話ができる可能性がある。人見知りの僕は、初対面の人と話すことは苦手だが、料理も民俗学も詳しくないので、店の人と少しでも話をしないと料理の背景もわからない。もちろんインターネットで調べれば多少はわかるが、実際、その国の人の口から聞いた方がいいことは言うまでもない。相手が日本語を話せなければ問題外なんだけど。その点、この店の若いイラン人女性は2人とも日本語が堪能なので助かった。
 宗教の話に絡むことなので、ためらっていたルーサリの質問をしてみた。
「ワタシタチ シマイハ イスラム。デモ キビシクナイ。ソレニ ココハ ニホンダカラ。オカアサンハ マジメデス。デモ ワタシタチモ オイノリハ マイニチ シマス。 ソノトキハ ルーサリ カブリマス」
 先程、テレビに映っていた女性はアメリカで活躍するイラン人歌手らしい。イラン国内で女性が歌う際は、やはりルーサリを被らなくてはならないそうだ。
 デザートに頼んだにんにくの入ったヨーグルトをいただきながら、ガラス張りの外を眺める。サラリーマンの姿も多くなり、近くの有名進学校の中高生もちらほら見かける。行き交う通行人の中に店内をちらっと覗く客もいるが、その程度。イラン料理店に入ろうと思う日本人はなかなかいないだろう。
「マタ キテクダサイ。フェイスブックモ ヤッテイマス」
 会計の際、黒タートルの女性はそう言ってフェイスブックのアドレスが書かれた名刺を渡し、座っていたテーブルの上のノートパソコンを指した。
 コートを羽織りながら、バドワイザーが置いてある理由を尋ねてみた。
「アメリカノ ビール? シッテイマスヨ。アメリカ ダイスキデス。アメリカジンヤサシイカラネ。イマ イラン ノ ヒトハ ミンナ アメリカノコト スキダトオモイマス。ケンカシテイルノハ セイフダケ」
 僕には何の関係もないことなのだかホッとしたような気がした。世の中は変化しているのだ。
イシコWebマガジン幻冬舎
世界一周ひとりメシ in JAPAN

イシコ Ishiko

一九六八年岐阜県生まれ。静岡大学理学部卒。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、二〇〇三年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。五十名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行い話題となる。また、一ヵ月九十食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。著書に『世界一周ひとりメシ』(幻冬舎文庫)がある。

世界一周ひとりメシ in JAPAN
バックナンバー

第18回 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主(東京都新宿区)
第17回 韓国料理店で刺身を食べる(大阪府大阪市)
第16回 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市)
第15回 辛くすることはできても甘くはできないカレー屋(福岡県福岡市)
第14回 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
第13回 世界一周してきてもウイグル料理の特徴を知らない(埼玉県さいたま市)
第12回 ぜったいひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区)
第11回 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市)
第10回 焼鳥屋でスウェーデン人が働く理由(東京都杉並区高円寺)
第9回 一妻多夫な生活を想像しながら(愛知県名古屋市)
第8回 アフリカの餅(東京都新宿区)
第7回 日本の国教がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
第6回 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
第5回 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋市中区)
第4回 年老いたドイツ人店主の料理店は果たしてぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
第3回 美人姉妹のいるイラン料理屋でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
第2回 東京のリトルインディアは本当にインド人で溢れているのか?(東京都江戸川区西葛西)
第1回 “東京の大阪"でテレビの位置が気になるタイ料理屋に入る。(東京都墨田区錦糸町)

水と皿とスプーンとフォークがこの状態で置かれます。

メキシコのコロナビール

イランのビールがないのでメキシコのコロナビールで。

ライスはパキスタン産

ライスはパキスタン産。美人姉妹曰く、イランの米の方が美味しいとのこと。実はイランは農業国。

茹でケバブとバドワイザーのひとりメシ外交。ちなみにバドワイザーを注いだグラスに書かれているビール名はトルコのビール。イラン名物のクフテ(イラン風肉団子)は時間がかかるのでメニューにないが、前日に電話で予約すれば食べることができる。

にんにくヨーグルト

にんにくヨーグルト。イランではライスにヨーグルトを載せる人もいるらしい。

韓国風お好み焼き「チヂミ」に近いカットレット

韓国風お好み焼き「チヂミ」に近いカットレット。ちなみにこの店の隣はお好み焼き屋。

イランのビール

イランはイスラム教国家なので国産のビールはない。イラン航空機内でも酒は出ない。外国人が多く宿泊するホテルで飲むことはできるが街のレストランで飲むことはできない。あってもノンアルコールビール。ただ、街の人たちは、こっそりアルコールが買える場所を知っているそうで、国交のないアメリカのビールも手に入るらしい。少々、割高だけど。

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