超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
ペンネームの秘密
 こんにちは、シュカワです。
 いやぁ、メキメキ寒くなりましたね。みなさん、風邪なんかひいてないですか。いくら若くても、全裸で寝るのはやめた方がいいですよ。 
 さて、ワタシは先日、中学校の同窓会に出席してきました。卒業以来、まさに二十七年ぶりだったのですが、懐かしい顔にたくさん出会えて、本当に楽しい一日でした。頑張ってくれた幹事さん、本当にご苦労様でした。
 しかしですね、ワタシ今四十二歳ですが、さすがこの年になると、同級生のみんなもいろいろです。中学の頃と、ちーっとも変わらない人がいるかと思えば、「時の流れというのは残酷だね……南無観世音大菩薩」と呟きたくなるような人もいて、ホント生きていくというのは、なかなか大変だと思うのでした。けれど、集まった人たちは、みんな元気で何よりでした。またぜひ、集まりたいものです。
 さて、今日のお題ですが……タイトルどおり、ペンネームについてのお話です。
 『朱川湊人』などという、カッコよさげな名前を名乗っていると、たいていすぐにペンネームだと見破られてしまうのですが、決まって聞かれるのが、その由来です。
 小説の投稿を始めた時、いちおう公私の区別をつけるためにペンネームを使い始めたのですが(本名がちょっと、モッサリした響きだというのもありますが)、これを考えるのが、楽しくもあり大変でもありました。
 なかなか気に入ったのが一つあったのですが、ある新人賞の最終選考に残った時、「このペンネームは何なのだろう」という鋭い指摘を某先生より受け、泣く泣くその名前は捨てました。本人は真剣だったんですけど、一般の人から見れば、ちょっとフザケているという印象があったようです。
 その次に考えたのが今の『朱川湊人』なんですが、公的な場で由来を聞かれると、たいてい次のように答えます。
「朱川というのは朝焼けに染まった川のイメージで、湊人は、『その淵に立っている人』という意味です。つまり、朝の清らかな感覚を忘れずに生きて行きたい……という意味を込めて、このペンネームをつけました」
 いや、これも嘘ではありません。八十パーセントくらいは、いや、九十パーセントは確実に本当です。けれど、実はあと一歩、奥に踏み込んだ意味が込められているのでした。

 時間は今から二十数年前、ワタシが大学一年生だった頃に戻ります。
 その頃(今もですが)、ワタシは東京の足立区に住んでおりました。東武伊勢崎線の、ぎりぎり東京の土俵際である竹ノ塚という駅です。小・中・高とずっと足立区で過ごしてきたのですが、大学に入って初めて、電車通学というのをするようになりました。
 入学したのは慶大の文学部で、一年の頃は、神奈川県の日吉まで通わなくてはなりませんでした。まさしく、東京をスッパリ横断していく通学旅行です。片道だけで、二時間以上かかりました。
 まぁ、電車の中はもっぱら読書タイムにあて、そのおかげで吉川英治先生の長編をバンバン読破できたので結果オーライだったのですが、問題は朝です。
 大学生の多くがそうだと思いますが、当時のワタシは完全に夜型人間で、毎日平気で二時三時くらいまで起きていました。ところが週に何度か、まるでイヤガラセのように、九時ちょうどから始まる一限の講義がありました。しかも、必ず出席を取る必修授業なので、気安く遅れたりサボッたりはできません。ある回数以上休むと、問答無用で留年が決定してしまいます。
 九時開始の講義に間に合うためには、六時半くらいには、すでに電車に乗っていなければなりません。しかも、ワタシが使っている日比谷線直通東武伊勢崎線は、地獄のように混んでいました(見たことはありませんが、このご時勢ですから、きっと地獄は混んでいることでしょう)。上野・秋葉原あたりまで行けば少しは空くのですが、時と場合によっては、そこに至る三十分弱を押しくらマンジュウ状態、あるいは前衛彫刻のようなポーズで過ごさなくてはなりません。それは、ちょっとゴメンなのでした(ちなみに現在は北千住駅の改築により、ラッシュアワーの混雑は、かなり緩和されているそうです)。
「それならいっそ朝まで起きていて、早い電車で行ってしまおう」
 ワタシは、そう考えました――まぁ、誰でも思いつくことではあります。
 ちゃんと学校の中には入れますから、早く着く分には何も困ることはありません。ノンビリ本でも読んでいればいいのです。
 それからワタシは週の何度か、五時半ごろの電車で学校に行くようになりました。電車もまだそんなに混んではおらず、さっきも書いたような、昇る朝日にきらきら輝く荒川の風景が見られたりして、なかなか具合がいいのでした。帰りは眠ってしまうことが多かったのですが、それもまた良しです。

 そんなこんなで大学での最初の一年を過ごし、やがて学年末試験のシーズンが来ました。
 ちなみにワタシは生来のムラっけが災いして、非常にバラエティーに富んだ成績でした。好きな分野は試験に出ないことまで勉強するのに、苦手なものは「興味ねぇっす」の一言で片付けてしまうゴーマン野郎でしたので、仕方ないでしょう。
 ところが、そのゴーマンを貫ければカッコいいのですが、何と言うんでしょう、「勉強はしないけど、単位は欲しいっす」というコズルイ人でもあったので、試験の時には、人並みに友だちのノートをコピーさせてもらったり、一夜漬けの勉強なんかもしたりしたのでした。
 当時、ワタシが履修選択していた科目に、某先生が担当されている「社会学」というものがありました。
 確か時間割の都合がよいという理由(必修科目のある日に固めて選択科目を取れば、結果的に学校に行く日を減らすことができます)で選んだのですが、同じことを考えている人はたくさんいて、その講義は、ある意味人気講義だったと思います。
 ところが、です。
 文系の学問ならば、たいていはどうにかなる……という自信があったワタシですが、その講義に出て初めて、失敗に気がつきました――先生のおっしゃっていることが、サッパリわからないのです(これはワタシの頭に由来するもので、担当の先生には何らの落ち度はありません)。まるで聞いたこともない外国語の授業に出ているように、見事にチンプンカンプンでした。そのために、今でも社会学というのは何を研究する学問なのか、ワタシには少しもわかっておりません(キッパリ)。
 四月の間は、とりあえずマジメに出席しました。けれど、わからないままの勉強が、ある日突然に面白くなるということはなく、結局、連休前後に早々にドロップアウトしてしまいました。講義に出る気さえせず、以後、その時間は、主に生協でヤングジャンプを立ち読みするのに費やされました。
 けれど、それでも単位だけは欲しいので、学年末試験を受けることにしました。聞けばノート持ち込み可ということでしたので、友だちのノートをコピーさせてもらえば、どうにかなるような気もしたのです。
 ところが、そのノートのコピーというのが、膨大な量でした。担当の先生は講義のライブ感を大事になさるタイプで、板書の類はほとんどなさらず、ひたすら喋りまくるスタイルだったのです。ですから、自然とノートも増えるというわけです。
 試験は確かにノート持ち込みOKでしたが、それはあくまでも自筆ノートに限られ、コピーは一切不可でした。つまり、その膨大なコピーを、すべてノートに自分で書き写さなければならないのです。
 試験前日、ワタシは必死こいて写しました。それこそ、シャープペンを持つ手が痺れる一歩手前までガンバリました。
 ところが、いくら書いても書いても、コピーは少しも減りません。しかも自分で理解してないことを書くわけですから、まさしく苦行です。ワタシは四分の一ぐらい書いたところで、音を上げてしまいました。しかし、ノートなしで試験を受けても、及第点を取るのは不可能です。
(どうするかな)
 そこで考えたのが、『ノートにコピーを貼る』という究極奥義でした(誰でも考えつくって)。試験は大教室でやるのですから、監視員の目も、学生一人一人にまでは届かないでしょう。いざとなれば、自分が書いたページを開いておけば、何の問題もないはずです。
 ワタシはさっそくコピーを切って、ノートにペタペタと貼り始めました。その作業だけでもかなりの時間がかかりましたが、必死こいて書き写すことに比べれば、どうってコトありません。当然、ノートはぶくぶくに膨れ上がりましたが、モーマンタイです。
「これで『社会学』の単位は俺のものだ、ふっふっふっふ……」
 ワタシはイヤな笑いとともに、そのノートをカバンに入れて、いつものように朝早い電車に乗りました。まだ空が暗く、星が残っている頃合いです。
 ところが――。
 そんなワタシの邪心が、突然に打ち砕かれる瞬間がやって来たのです。いえ、別に何か、ものすごく特別なことが起こったわけではありません。
 いつものように小菅と北千住の間にかかっている荒川の鉄橋に電車が差し掛かった時、冬の柔らかな太陽が真正面に顔を出したのです。
 その太陽が、本当にきれいでした。
 夜明けの光景というのは、いつ見ても美しいものですが、何だか、その日の朝の太陽は、いつも以上にきれいだったと思います。
 その光を受けて、荒川がオレンジ色にキラキラと光っていました。周囲の土手がまだ暗いだけに、まさしく光の川のようです。
「おぉっ」
 隣でつり革につかまっている背広姿の人も、思わず溜息を漏らしていました。周囲を見回すと、通勤客のほとんどが、目を細めて、その川をじっと見つめています。
 その川を見ているうち、ワタシは何だか自分が、ものすごーく情けないことをしているような気がしました。
(おまえ……それでええんかい)
 まるで荒川の神様が、そう問いかけて来ているような気がしました(なぜか関西弁)。
 いったい自分は、何をやってるんだろう。単位が欲しいばっかりに、必死こいてズルをして、ホントにそれでええんかい。
「わいが……わいがアホやってん」
 その神々しいばかりにきれいな荒川を見ているうちに、ワタシは思いました――やっぱり、ここは一つ尊敬する『タイガーマスク』のように(アニメ版)、フェアープレーで切り抜けて、男の根性見せてやるべきではないか、と。
 大学がある駅に着くなり、ワタシはカバンから膨れあがったノートを取り出し、コピーを貼った部分をすべてちぎって捨てました。自分で書いたほんの数ページしか残りませんでしたが、仕方ないでしょう。
 結局――試験は惨敗で、単位は取れませんでした。フェアープレーでしたが、切り抜けることも男の根性も見せられなかったってワケですが、まぁ、自業自得です。
 けれど、不思議と後悔はありませんでした。むしろフェアープレーで切り抜けよう……と思った自分が、ちょびっとだけ誇らしいような気にもなったのです。
 もう、おわかりですよね。
 つまり、この荒川を見た時の気持ち、フェアープレーでやろうと決意した時の気持ち――そんなものを、ずっと忘れないで生きていこうという自戒を、ペンネームに込めてみたのです。
 ちょっと、ええカッコしい……に聞こえるかもしれませんが、まぁ、いいじゃありませんか。この名前を使っている限り、いつも『荒川の神様』に睨まれてるようなものですから。
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。